上羽幌坑 市街地

上羽幌坑の人口は、最も多い時で 昭和45(1970)年4月末の 2,732人。
それが閉山後の昭和47(1972)年には42人となり、人の姿を見かけることがほぼ無くなりました。
令和3(2021)年時点の上羽幌地区は、通いの農家が数件有るだけで、無人と化しています。


神楽台

昭和35(1960)年頃の神楽台

上羽幌小中学校
昭和35(1960)年、小学校の児童数は419名、中学は125名でしたが、人口増で増室を迫られる状態にありました。
写真の左側奥、校舎の色が違うのは教室を増やすため校舎を拡張したためであった。

 

上羽幌小中学校のプールや学校の基礎は現在も残っていますが、新しい道路に切り替わっており現地にたどり着くまで、いつ羆と出くわすか解らない状態です。

 

 


旭町(北側)

昭和35(1960)年頃の旭町

二坑会館
映画の上映や様々な記念事業を行いました。一般の映画館と違い、公休日は入場無料で料金は映画の内容により一人20円~30円。
昭和32(1957)年にはシネスコに切り替え、全席クッション付きの固定椅子にしました。

 

砿友クラブ

 

 

 

 

保育所
開園年は不明ですが、「にこにこ保育園」として羽幌炭砿が管理していました。
入園は無料でした。
写真は運動会の様子です。

二坑会館周辺


旭町(南側・商店街)

旭町南側は上羽幌坑の中心部となり商店街が形成されていました

大五商事 上羽幌支店
写真は羽幌坑配給所の時。

 

 

 

大五商事 上羽幌支店
店内の様子。
生活に必要な物は大体販売していました。


 

 


胡桃(くるみ)町

くるみ町は上羽幌(二坑)鉱業所の前にあり、商店やパチンコ店、旅館がありました。

右側の細長い建物が二坑消防署。







向かって左が千葉商店、右が中川商店。
奥の住宅群は柳町です。






緑町

名羽線の上流(じょうりゅう)駅が出来る予定だった緑町。
名羽線は羽幌炭砿の閉山で、鉄道を開業しても輸送は見込めないため国鉄再建法の施行により昭和55(1980)年、工事凍結となりました。

奥に見える二階建ての建物が清雲寮。
その手前、緑色の屋根の住宅手前に国鉄名羽線上流駅が出来る予定でした。





緑町は昭和30(1955)年代から、急激な人口増加に合わせて、住宅の建設ラッシュが続きました。







羽幌炭砿 二坑鉱業所

二坑鉱業所全景

 二坑鉱業所 事務所

 選炭工場・ホッパー

石炭を、トラックに積み込むためのホッパーもありました。









原炭は、索道を用いて約3km離れた本坑へ運ばれていました。
索道が通る旭町では、20m以上上空を石炭が運ばれていました。

解りにくいですが、矢印の所に索道の支柱が建っています。手前の住宅と比べるといかに支柱が高かったのか解ります。

現在の二坑鉱業所跡。ホッパーが残っています。