選炭工場・精炭ポケット

選炭工場(左)と精炭ポケット[ホッパー](右)

昭和36(1961)年4月、羽幌坑を中心とする新合理化計画推進の主となる、新選炭工場建設が2億6千4百万円の予算で建設に着手します。

この年から、新選炭工場建設をはじめ、運搬立坑建設、ズリ索道工事など会社関係の工事のほか、上羽幌~羽幌坑間の産業道路改修、明月橋の架け替え工事、名羽線建設、羽幌ダム工事など、至る所で建設ラッシュとなり、工事のために入山している人の数は、500人にも達しました。
羽幌坑はアメリカ西部開発のような状態が続きました。


選炭工場・精炭ポケット工事

昭和36年10月 上・精炭ポケットが姿を見せています 下・上部のポケット部分

昭和36年冬 大分かたちになってきました

昭和37年夏 足場が外され全体が見えてきました

ほぼできあがった選炭工場と精炭ポケット

昭和37年8月 選炭工場完成式典

完成した選炭工場は、鉄筋コンクリート4階建て、当時としては選炭工場とは思えない近代的なビルでした。

内部の機械配置も敷地面積に余裕が無いところから、無駄がなく合理的に配置されました。
主選機、再選機などの水洗設備は三階に、精炭ふるい機、洗粉脱泥スクリーンなどすぐ製品として出す機械はポケットに近い二階に、各動力設備、受電設備は一階と機能別に配置されました。
羽幌坑原炭は、立坑坑口のチップラーより、上羽幌坑原炭は架空索道から予選機(坑木、大硑を除去)を経て水選原炭ポケットに入ります。

タカブジグ主選機

選炭は国内最大の毎時200トンの処理能力をもつタカブジグを導入しました。
この方式はバウム選炭と同じように空気の力で波をたたせて、比重別に選炭する設備ですが、バウムがエアーチャンバー(空気で波を立たせる装置)を水洗機横に装備しているのに対し、タカブジグでは機械の下に設備し、製品が均一になるようにしています。


精炭ポケット上部にあるベルトコンベア

精炭ポケットの容量は2,000トンあり、名羽線開通後すぐに使用できるようポケット下に貨車積みの設備を備えていました。

昭和40(1965)年には増強工事を完成させ、貯炭能力は3,000トンになりました。